KENZO 高田賢三さん、永遠に

 

私は、KENZOのお洋服のファンだった

なぜなら、何十年経っても

KENZOブランドの洋服だけは、いつも新鮮

だから、いまだに、

20代の頃に買い求めたKENZOの洋服を

ウキウキしながら、着ている

 

そして、私は

高田賢三さんのファンにもなった

賢三さんのビジネスパートナーで

私の古くからの友人、鈴木三月さんを通して

そのお人柄を知ったからだ

また、直接

三月さんの還暦パーティーで

お会いした賢三さんの姿に

惚れ惚れもした

80歳でいらっしゃるにも関わらず

背筋がピンと伸び

歩き方も、まるでモデルさんのように優雅

何よりも自然体で

巨匠であるのに

どこか少年っぽい

三月さんが、そのお人柄に惚れ込むのも

頷けた

 

しかし、賢三さんは

2020年に突然亡くなられてしまう

 

「高田賢三と私」(時事通信社)

この本は、賢三さんとの37年間を

鈴木三月さんが綴ったエッセイだ

まさに、副題の

〜「パリの息子」とすごした37年間〜

 

惜しげもなく紹介される膨大な写真と

淡々と語られる文章が

まるで

一つのドキュメンタリー映画を見るかのよう

謙虚でお茶目な世界的デザイナーを知り

温かい気持ちになる一冊だ

本当に、日本は

大切な宝を一人失ってしまったね

 

皆様

「高田賢三と私」

是非、お手にとってみてくださいね

Friends | 14:00 | comments(0) | -

学生時代の友人ってさ・・・

 

カレンとセリーナを、海で遊ばせたくて

鎌倉の友人宅へドライブした

 

学生時代の先輩で

関西学院大学の教授、井垣伸子さんと一緒に

同じく大学時代の友人、土屋夫妻に会う

会うと、みんな、あの頃と変わらない

 

そう、あの頃

井垣さんの下宿に押しかけて

カレーライスを

いつもご馳走になっていたっけ

 

土屋君の奥様の多恵ちゃんは

学生時代のアパートで

隣同士の部屋で仲良しだった

だから、なんでも、相談したっけ

彼だった土屋君のことも

 

夫の土屋君は

大学卒業後、日本テレビに入社し

あの伝説の番組「電波少年」を出がけ

Tプロデューサーとして

広く知られていった

 

でも、私

プロデューサーの土屋君とは

仕事をしたことが、未だかつてない

いや

でも、敢えて、一つだけ

プロの仕事ではないけれど

大学生の時に

一橋大学の映像研究会で

土屋君が制作プロデュースした映画に

女優として出演したことがある

その作品が、いわば

私の記念すべき「映画デビュー」となった

 

会った日は、雨が降り出して寒かったけれど

食事したお店の前で

TikTokを撮った

土屋君は、急だったのに

さすが、ダンスの素養があり

井垣教授も、リズム軽やか

そう言えば、私達、ディスコとやらに

行ったよね

思い出したよ

 

やっぱり私達

あの頃と一緒

体だけ、歳を重ねているだけってことさ

だろ?

 

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人生のキーウーマン 洋子

 

朝、北海道の友人から電話があった

泣きじゃくっていて、言葉が聞き取れない

「洋子が・・・洋子が、亡くなった」

「・・・うそ〜!」

 

洋子は、大学時代の友人

国立市のあちらこちらに

下宿していた8人の仲間の一人だった

8人で、美しい街国立を闊歩し

ふざけて歌歌ったり踊ったり

誰かの下宿に押しかけ

誰かが作ったカレーを死ぬほど食べて

朝まで真剣に語りあったり

そんな、仲間

全ての自分を出せる間柄

 

だから、大人になってからも

LINEでは「国立グループ」と名づけ

近況を報告し合っていた

北は札幌、南は鹿児島

全国に、皆散らばっているけれど

繋がっている

Facebookとかあるけれど

私自身は

あの場では、本音を語れない

弱みも見せにくい

でも、LINEの国立グループでは

弱い自分を曝け出すことが出来た

 

洋子が気管支系の病気だとは知っていた

でも、そんなに酷いとは知らなかった

彼女は、弱みを見せていなかったんだ

気丈な洋子は、最後まで気丈だった

 

生きていく上で、色んなキーポイント

ターニングポイントがあるけれど

私にとって、洋子は

間違いなくキーマン、キーウーマンだった

 

大学卒業して半年後のある日

私は、まだ国立のアパートにいた

その日から海老名市での

ウグイス嬢のアルバイトが10日間あり

その準備で忙しくしていた

大学4年生の時に入った劇団

東京キッドブラザーズは

母との1年期限の約束があったから

すでに退団していた

不安だらけの毎日

その日朝、電話で尋ねたフジテレビは

アナウンサーの募集をしていた

でも、締め切りは翌日の消印までで

手元に証明写真がなかった私は

すぐに諦めていた

当時、証明写真は

ネガを出して受け取るのに

丸1日は必要だったから

 

四畳半の下宿の部屋に

ふらりと入って来たのが

国立ファミリーの一人、洋子だった

卒業後、すでに皆は

実家に戻っていたから

国立にいるのは

3人ぐらいしかいなかった

洋子は、数学科の大学院生だったのだ

忙しくボストンバッグに

荷物を入れる私を見下ろすように

洋子はベッドに座って

いかに数学の問題が解けないか

気晴らしが必要なんだと

つらつら話していた

私も

今朝電話したフジテレビのことを

何気なく話した

「 あ!」

洋子が言った

「 私が応募書類、出してあげる 」

ネガを写真屋に出して

明日、写真を受け取って

出してくれると言う

「 いいよ、そりゃ面倒だし悪いよ

それに、受かるわけないもん 」

「 いや、私に出させて

気晴らしになるから、問題解けるかも 」

その行動が、

なぜ問題解けることになるのか

さっぱり私にはわからなかったけれど

私は、洋子の目の前で

躊躇しながら履歴書を書いた

そして

ネガと一緒に、洋子に託した

アパートを出て、別れる時

「 じゃあね! よろしくね〜!」

なんて、軽く洋子に声かけたものの

全然、期待なんかしていなかった

 

そして

真面目な洋子は

その足で写真屋に行き、ネガを出し

翌日、写真を受け取り

履歴書に、ノリをつけて貼り付けて

封筒に丁寧に入れ

ポストに投函してくれたのだ

その後

私は、フジテレビに入社した

 

やがて、退社はしたけれど

アナウンサーを経験したことが

全ての根幹となった

 

あの日、洋子が

4畳半の下宿にやってこなければ

今の私の人生はなかった

確実に、なかった

 

洋子に関しては

いっぱいいっぱい思い出があるけれど

それは、国立ファミリーの皆で会って

話そう

そうすれば、天国で笑ったり

そりゃ違うと言ってムキになったり

するだろう

 

でも、私はここでしっかりと

言っておかなくてはいけない

本当に感謝です

ありがとうね

洋子

ありがとう

Friends | 12:09 | comments(1) | -

22歳に戻る夜

 

フジテレビの同期会があった

その名も、豪伍会

なぜなら、昭和55年入社だったから

思えば、39年前よ!

なんと、大昔!

 

同期は21人だったけれど

この日は、半数以上が集った

同期の一人が

地方のテレビ局の社長になったことを祝う会

それに便乗して

たまたま、この日誕生日に当たった私の

バースデイも、お祝いしてもらった

 

同期の中には

今年、突然亡くなった人もいる

希望の制作部に行けないことがわかり

早々とフジテレビを退社して

医学部に入り直したK君は

お医者様になった

いつも同期の体を気遣って世話してくれたのに

働きすぎで呆気なく逝ってしまったK君

でもね

K君は、ドラマの医療監修などで

最後までテレビマンだったし

今でも、私達の大事な同期だよ

皆で、何度も何度も献杯した

 

黒岩神奈川県知事も

忙しい中、顔を見せてくれた

今回の台風

心底誠実な対応をしていた黒岩君

行き違いがあり、一部批判もされたけれど

黒岩君の姿勢に

「 オレ、神奈川県民になりた〜い!」と

声が上がるほど、いい知事さんだよ

 

最後の方に、お酒も入っているせいか

二人の男子(60過ぎた男子?)の

小競り合いが始まった

真剣に皆に向けて熱弁する男子に

何度もチャチャを入れていた男子

とうとう話していた男子は

突然ブチ切れて、声を荒げた

「 お前の顔なんか見たくない!出てけ〜」

びっくりする程大きな声が、お店に響いた

一瞬、シーンとなった

「 そんなこと言っちゃいけないよ!」

仲裁に入るのは、また別の男子

ふふふ

何だか、私、嬉しくなっちゃって

きゃっはっはと笑ってしまったよ

だって、こんなに大人になって

爆発するような喧嘩なんてないもの

同期という、心許した相手だから出来る

まるで青年の時のように

あの時

22歳前後で入社したあの頃のままに

感情を剥き出しにできたんだね

チャチャを入れた方の彼は

入社当時と変わらず皮肉屋さんだし

間に入って場を収める人も

あの頃と、おんなじような調整役

フフフ

本当に、微笑ましくて、嬉しくて

ふふふふふ

 

なんだかね

最高に素敵な誕生日の夜になったよ

Friends | 12:12 | comments(2) | trackbacks(0)

集中治療室の、アイスキャンディー

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実は、この3週間

気が気ではなく

生きた心地がしなかった

なぜなら

私の友人・・・親友?・・・いや

しっくり来る言葉がない・・・

なんて言ったらいいんだろ

妹のような、姉のような、そんな存在の人

Mちゃんが倒れたからだ

 

彼女とは

30年以上前

私のマネージャーとして出会った

身の回りのことも、車の運転も

交渉ごとも、有能に捌いてくれていた

10年くらい経って

元々劇団員であった彼女は

女優の道に専念することになり

仕事上の関係は、なくなったけれど

密な関係は続いていた

他の人には言えないようなことも

お互い吐露するようになっていたし

私のことを、いつも無条件で応援してくれた

私の母kazukoさんのことも大切にしてくれ

車椅子のkazukoさんを連れて

色んな所に、食事に出かけた

Mちゃんは、食べることが大好き

いつも愛くるしく、ニコニコ

そんなMちゃんのこと

kazukoさんは、ずっと、大好きだった

 

そのMちゃんが、心不全で倒れた

救急車で運ばれ

緊急の大手術をした

その他何箇所も、

それこそ身体中の器官が弱っていて

糖尿も悪化していた

 

「 え?・・・糖尿?」

誰もが耳を疑った

そんな病気を持っていたなんて

誰も知らなかった

でも、納得した

正直な所、

Mちゃんは、普通の人の2倍ぐらいの体重がある

その上、沢山の美味しいものを食べているから

糖尿になってもおかしくなかった

私も、若い頃は

「 体のことを考えた方がいいよ 」なんて

口を酸っぱくして言っていたけれど

50歳をすぎた大人だからと

いつの間にか、何も言わないようになっていた

後悔した

 

糖尿病から、体全体の各機能が不全になり

心臓の管も、ほとんど塞がっていた

「 助かるのは、20%の確率です 」

お医者様から、そう告げられた

 

そんな・・・!!!

この世から、Mちゃんがいなくなるなんて

そんなことあってはならない

大事な大事なMちゃん

祈った

狂ったように、祈った

手術後のICUで

私はMちゃんの耳元で

「 Mちゃ〜ん、Mちゃ〜ん、大丈夫だよ〜 」

と、思いっきり大きな声で叫んだ

多分、ICU中に響いたから

看護師さん達は、驚いたと思う

もしかしたら、Mちゃんも

「 うるさいよ、みっちゃん!」

と思っていたかもしれない

それ位、大きな叫び声だった

 

kazukoさんにも、報告した

私の友人の名前は、ほとんど忘れているのに

Mちゃんのことは、しっかり覚えていて

かわいそうにかわいそうにと心配した

iPhoneのビデオに

「 Mちゃ〜ん、がんばって!」と

メッセージも送った

 

「 まだまだ山は超えていません 」と

お医者様は言っていたけれど

毎日毎日、ひとつずつ

身体中に繋がっていた管が、減っていった

そして、ようやく意識が戻った

でも喘ぐ声で、Mちゃんは言った

「 アイス・・・食べたい・・・」

口の中が、猛烈に乾燥し

高熱で、堪らなくなっていたのだろう

「 仕方がないよ、我慢しなきゃね 」

みんなで、答えた

でも・・・

 

次の日

私は凍った保冷剤を持って行った

口元に持って行ったら

Mちゃんがくわえてくれた

「 おい・・・しい・・・」

そして、看護師長さんにお願いしたら

なんと、師長さんが

特別なことを考えてくださった

口の中を洗浄する

先にスポンジが付いたスティックを

あらかじめ、水に浸して凍らす

まるで、アイスキャンディだ

柔軟に考えてくださる看護師長さん

心底、感謝した

その特別アイスキャンディで

口の中を拭いてもらうと

Mちゃんは、極上の笑顔に見える歪んだ表情で

「 ごちそうだ〜〜」

と、呻いた

 

そして3週間経った

 

Mちゃんは、まだまだ腕も上げられないし

首も自由に動かせないけれど

本物の氷も食べさせてもらえるし

ゼリーも、食事で出るようになった

この後は、リハビリの病院に移る

 

きっとこの後は

日に日に良くなるだろう

 

でもね、Mちゃん

私は、決めたよ

これから、私は、鬼になる

しっかりと糖尿の治療をし

Mちゃんの大好きな食事の制限をしなきゃ

だから、鬼になるよ

Mちゃんの周りはみんな、鬼だらけだ

みんなMちゃんのこと大好きだから

大好きだから、鬼だ

 

でも

生きてくれて、ありがとう

戻ってきてくれて、ありがとう

ありがとう

良くなったら

うんと美味しいもの

食べに行こう!

 

あ・・・

もしかしたら

私、鬼になりきれないかもしれないな

ダメな私だ

 

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Friends | 14:08 | comments(4) | trackbacks(0)

結婚とは、するものでなく、し続けること

 

友人の結婚式に参加した

と言っても

結婚33周年

33年目の結婚式だ

年上の奥様は60歳、還暦を迎えられて

還暦のお祝いパーティも

併設のレストランで、豪華に行われた

 

旦那様は、日本でもトップクラスの脳外科医

奥様は、元宝塚で、

今は、バレエ教室も主宰していらっしゃる

お二人の出会いは、

電車の中で、変な輩に絡まれていた、

タカラジェンヌだった奥様を

まだ東大生だった旦那様が助け出し

すぐに恋に落ちたことから始まった

 

でも双方のご家族からは猛反対され

駆け落ち同然で

結婚式は、二人だけで挙げたと言う

だから

多くの人に祝福される式は

初めてだ

 

33年の間、若いけど貧しい生活から始まり

子供を二人授かり

色んな困難な出来事があった上で

今、とてもとても幸せな二人

 

お二人は

教会で、ベールアップをし

情熱的に接吻を交わした

33年の、夫婦の歴史を紹介する時には

お互いに、最高の人と褒め称え

愛していると、延々とお話しされた

 

正直言うとね

あまりにも直球の愛の告白すぎて

目の前で、大胆な接吻もされて

見ている方としては

ちょっと照れくさく

恥ずかしくなっちゃったよ

でもね

そのうち

恥ずかしくなる自分自身が

恥ずかしくなってしまった

 

同じように

私も、今年結婚33年目を迎えるけれど

人前で、キスできるかしら

人様の前で

愛している、ありがとう

今あるのは、あなたのお蔭

なんて、公言できるだろうか

照れ屋だから、無理かなぁ

 

純白のウェディングドレスを着た新婦に

(いや、古婦か?)

「 まあ、きれいね〜

ご挨拶も、さすが元宝塚、素晴らしかった」

と、声をかけたら

開口一番、返ってきたのが

「 お願い・・・

パパのことも、ほめてあげて!」

 

この日のウェディングと

還暦パーティは、ご主人様からのプレゼント

羨ましいなあ〜

私は夫からプレゼントなんてもらってないな

なんて、思ったけれど

それは、仕方ないね

私は、33年の月日に慣れてしまって

こんなに、夫に思いやり深く接してないもの

奥様が、33年間、ずっと笑顔で

旦那様に心遣いし続けていることが

晴れやかなパーティとなったのだろうから

 

この日

式とパーティーに参加した全員が

最初は、少し照れくさかったかもしれないけど

パーティが終わる頃には

もう、最上の幸せな気持ちになって

会場を、後にした

 

「 結婚って、するものではなくて

し続けることなんです 」

なんて、いつも、招待された結婚式で

先輩ぶって祝辞する自分の言葉を

あらためて、思い出した

 

もう一度、結婚について

考え直して

居住まい正したよ

Friends | 13:56 | comments(3) | trackbacks(0)

ネプリーグのお蔭で、同期捜索隊

上段右から2番目私、その下亀山君、下段左から2番目黒岩君

 

 

今日オンエアだった「ネプリーグ」

放送前に、スタッフからの要請があった

「 亀山社長と写った新人の頃の写真ありますか?」

 

亀山社長とは、フジテレビ社長の亀山千広さん

私のフジテレビ時代の同期入社

もう一人、神奈川県の黒岩祐治知事も、同期だ

総勢たった21人の同期の中に

フジテレビ社長と、県知事がいると

番組の中で、話が出たから

その写真が必要になったらしい

 

亀山君と一緒に写っている写真か・・・

私が持っているのは

みんなで酔っ払って、ふざけた写真

こんな写真を、世に出すわけにはいかないね

SNSなんかで、回ったら、大変だ

 

私達が入社したのは、1980年

そう言えば、新入社員研修で

河口湖に合宿に行った時の集合写真があったけ

でも、私、持っていない

誰か、持ってない?

 

一番に、いつも同期会幹事をしている、

フジテレビ秘書室のY君に電話して聞いた

必ずや、彼は、持っているに違いない

「 いや〜、僕が持ってる写真はさ〜

あいにく、亀山が出席しなかった時の

同期会の写真だからさ〜 」

 

次に、私含めて3人だった女性陣に聞いた

一人は、写真どこにあるかわからず

一人は、持ってはいたものの

全ての写真をデジタル化する為

業者に出してしまい、手元にないとのこと

(今時、こんなサービスもあるのか)

 

もう仕方ない

同期21人に、一斉メールで、尋ねた

すると、K君が、この写真では?と

亀山社長就任お祝い会の写真を送ってくれたけど

それは3年前、最近すぎる、新人の頃じゃない

そこで

「 僕、持ってるよ!」

と言ってくれたのが

北海道文化放送の取締役になっているH君

やった〜!

 

でも、メールで送ってもらうはずが

なかなか送られない

待ちきれず、電話した

でも、出てくれない

メッセージで送ったら

「 あなたは、誰?」

と、来た

H君、私の電話番号、登録解除していたらしい

全く、参る

ようやく電話で話すと

「 持っているけど、探しきれなかったよ

あと、数日、待ってくれれば・・・」

それじゃ、オンエアに間に合わないでしょ!

 

もう最後の手段

みんなに、電話しちゃえ!

って、言っても、登録されている番号は少ない

しかも、電話すると、みんな、驚く

「 おぉ、山村! おぉ久しぶり! おぉ元気?」

それもそのはず

電話で話すの、もう何十年ぶり

仕事中の人やら、空港でチェックイン中の人やら

みんな、探してみるよ、ちょっと待ってとの返事

あ〜あ

あの新人で、みんなで撮った写真、ないのかな

仕方ないな、最近の集合写真で我慢してもらうか

 

と、諦めかけた頃

今は、スポーツ番組の制作会社にいるO君から

「 山村、見つけたよ!」と電話

しかも、彼の勤めている会社は、家から近い

犬のカレンとセリーナと共に散歩がてら

喜び勇んで、取りに行った

なんと、O君

仕事の合間に、自宅に取りに行ってくれたとのこと

しかも

写真が古くて、オンエアに耐えられないから

画像処理までしてくれていた

さすが、プロ!

 

メールで見つかったと皆に連絡すると

「 捜索中止しま〜す!」

と、あちらこちらからメールが来た

みんな、探していてくれたらしい

感謝!

 

集合写真のポーズで、盛り上がった

皆が指で数字を表している

これは、何だ・・・

そのうち、誰かが答えた

これは、マラソンの順位だと

そう言えば、研修合宿で

男子は、マラソンをやらされたっけ

女子も、少しだけ走ったような

坂を上がって走り、息切れし・・・

マラソンゴールの先には

とてつもなく大きな富士山が見えていた

 

みんな、富士山に向かって走り

みんな、フジテレビの中の未来を見つめていた

21人は、何かに向かって、走ってたんだな

 

あの日の夢のまま、社長とか、他の部署で

フジテレビの為に頑張ってる人もいるし

でも、会社辞めて、知事になった人もいるし

医者になった人もいるし

女性起業家になった人もいる

中には、定年になって

次のステップに進んでいる人もいるし

家でのんびりする人もある

私は・・・女優になった

 

番組出演で

思いもかけず同期の優しさに触れ

何人かの同期とは、電話でも話すことも出来た

あのゼイゼイ苦しかったマラソンのことを

みんなで、思い出せた

 

・・・・・

 

ケッ

もう、37年も、経っちまったぜ!

 

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3年前の集合写真・・・大人になっちまった

Friends | 19:51 | comments(1) | trackbacks(0)

105歳が抱く夢を、叶えたい

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10月4日にお誕生日を迎えられた、

聖路加病院の院長、日野原重明先生の

バースデーパーティの司会をさせていただいた

 

日野原先生にお会いするのは

一昨年

先生が名誉会長を務められるNPO法人で作成した、

動物愛護の映画「チロリ物語」で

物語部分のナレーションを

担当させていただいて以来

2014.7.7と、8.9のブログより )

 

105歳?

ねえ、信じられる? 

105歳!

 

車椅子に乗られてはいるけれど

お話は、ユーモアたっぷり

モノマネタレントの、中島マリさんのモノマネには

「似ていてびっくり、心臓がバクバクしてしまう!」

と、皆を心配させ

オペラ歌手の方の「乾杯の歌」や

全員でのハピーバースデイーの歌を聞いた後は

「嬉しくて、今度は心臓が止まりそう〜」だとか

思わず、会場を慌てさせて

大笑いの渦に巻き込んでしまわれる

本当に、ウィットに富んでいらっしゃる先生なのだ

 

日野原先生には、夢がおありだ

2020年

東京オリンピック、パラリンピックで

聖火ランナーを務めること

確かに、そうだね

車椅子に乗ってさえいれば

日野原先生でも、走ることができる

なんて、素敵なんだろう

しかも目の前で

ユーモアたっぷりお元気な先生を拝見していると

夢は、夢でない

確実な「現実」と思えてくる

 

2020年の夏

颯爽と風を切って、車椅子で走る

108歳の聖火ランナー

沿道で、みんなが笑いながら、手を振る

そんな日が

本当に、楽しみ

 

日野原先生!

お誕生日、おめでとうございます!

 

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中島マリさんと

先生、パーティーの後は、ちょっとお疲れ!

 

日野原重明先生のご依頼で作られた映画

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私、昔、タカラジェンヌ・・・

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左から、真織由季さん、えまおゆうさん

 

「 私、昔、宝塚、タカラジェンヌだったの 」

 

5年にいっぺんくらい、こう言ってみる

その度に、相手は、グルグル頭を巡らすのか

ポカンと、私の顔を食い入るように見た後

ようやく気づいて、正気に戻り

「 おい! 」

と、ツッコミを入れてくる

でも、中には

「 へ〜、そうなんですか! 知らなかった〜!」

なんて、純情に、騙されてくれる人もいる

ちょっと背が高い感じとかが

一瞬、元宝塚の男役と思わせるのかな

だから

このホラ遊びは、やめられない

 

もちろん

私は、タカラジェンヌではないし

宝塚に、のめり込んだこともない

でも、今までに

数回観劇した宝塚の舞台は

素晴らしいエンターテインメントで感動したし

胸が、キュンキュンもしたし

熱烈な宝塚ファンの人たちの気持ちが

よくわかる

 

元宝塚の男役トップスター、えまおゆうさんの

お誕生日ライブを訪れた

えまおゆうさんは

先月の舞台「友情」にもゲスト出演していらした

でも、彼女は秋組、私は桜組で

舞台では、共演はなかった

でも、稽古場で少しお話ししたことで

いつのまにか、共演したような気になっている

 

えまおさんのライブは

田原俊彦さんの歌もあり

宝塚の男役の歌もあり、バラードあり

圧巻は、レミゼラブルの「ワン・デイ・モア」

本当に、楽しませてくれた

またゲストで参加した、

やはり元宝塚の真織由季さんとのトーク

これがまた、最高だった

えまおさんの、飾らない人柄が

本当に大笑いしてしまい

彼女の懐の深さを感じたよ

 

そして、真織由季さんとは

実は、2000年公演のミュージカル

「ステッピングアウト」で、共演している

前田美波里さん主演のタップダンスのミュージカル

歌も踊りも、本当にハードな舞台だったね

私にとってみると

元宝塚、元劇団四季の共演者の中

所謂、プロのミュージカルスターに混じって

脚上げて、歌って、踊って、芝居して、汗かいて

ダルマと呼ばれるレオタード着て

ホント、苦しい3ヶ月だったっけ

真織さんと会うのは、ほとんどそれ以来だから

きゃー!と言って、抱き合った

 

上の写真のように

えまおゆうさんや、真織由季ちゃんと写真に収まると

まるで「私も、元宝塚!」

なんて、嘘、言ってみたくなるでしょ?

 

その上

また、別の日には

えまおゆうさんが、スペイン料理店

六本木「アサドール・エルシエロ」

元宝塚トップスターの皆さんを連れて来てくださった

ご挨拶に伺って、写真に一緒に写ってしまうと

またまた、私、ホラ吹いちゃうよ

「 私、元タカラ・・・」

「おい、おい!」

すみません・・・

 

しかしながら

元トップスターの皆さんから放たれる

オーラは、半端なくて、ホントに眩しかったよ

でもね

どこか、少女のような楚々とした感じもある

(たとえ、年齢は少女でなくても)

これなんだね、宝塚の魅力

「オーラ」と「少女」のアンバランスが

きっと、ファンの心を掴んで離さないんだね

と、思った次第

 

さて、私

5年後くらいに、懲りずに、またホラ吹くだろうけど

今度は、この写真、見せながら

言ってみようかな

「 私、元、宝塚のトップスターだったの・・・」

誰か

だまされてくれるかな

 

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左から、白城あやかさん(中山秀征さんの奥様)、えまおゆうさん

麻路さきさん、私、稔幸さん、湖月わたるさん

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明治大学副学長は 100%の牛尾奈緒美ちゃん
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元フジテレビ女子アナが大集合し、あるお祝いをした
後輩アナウンサーだった、牛尾奈緒美さんが
何と、明治大学の、副学長に就任したのだ!
嬉しい、嬉しい!

奈緒美さんは・・・と言うより、奈緒美ちゃんは
私より3期後輩で入社した
言わば、妹のような存在
会社にいた頃も、スキーに一緒に行ったり
仲良くはしていたけれど
お互いに、退社後、仲は深まっていったと思う
彼女が由緒あるお家に嫁ぎ
一時期、お嫁さんとして家に入り
お嬢さんを産んだ
それだけでは飽き足らず、勉強を始め
短大の講師を始めたりして行った
一つずつ階段を登るたび
お嬢さんのことや家庭、自分の勉強のことなど
色々悩み、ぶつかり、そのたんびに
私も一緒に、悩んだり励ましたりした
逆に、奈緒美ちゃんも
何かにつけて、私を応援し続けてくれていた
お互い、泣きながら励ましあったこともある
「がんばろうよ、奈緒美ちゃん!」
「がんばりましょうよ、美智子さん!」
言わば、奈緒美ちゃんは、心の友、心の妹だ

ある占いで、奈緒美ちゃんと私は
「知性で100%の相性」と出たことがある 
100%なんて、そんなに出ないらしい 
て、ことは私の知性も、副学長並み? 
なんて、訳のわからない冗談だけど 
私達は、その100%の仲と言うのを喜び、誇りにしていた

奈緒美ちゃんは、とても美人でゴージャスだけれど
その内は、真面目で、まっすぐ一生懸命
公には、美しい姿しか出てこないし
セレブの佇まいの奈緒美ちゃんだけれど
本来は、コンタクトレンズをはずし
分厚いレンズのメガネをかけている姿
そんな素朴で、知性溢れる女性が
私の中の奈緒美ちゃんなのだ

今や、大人気の明治大学、そこの副学長なんて
それはそれは、大変な仕事だね
きっと奈緒美ちゃんは
水面を優雅に泳ぐ、美しい白鳥のように
すいすいと、物事を突き進めて行くに違いない
でも、実は、水中では必死に足を動かし
漕ぎ続けて、前に進もうとするはず
あの分厚いレンズのメガネをかける姿で
無骨に、真面目に努力していくはずだ

でもね
もし何か困ったことあったり
ぼやきたいことあったら
いつでも、いつものように、会おうね
「ちょっと、聞いてくださいよ!美智子さん!」
いつでも、待ってるからね
「100%の仲」なんだから

そして
私だけではなく、こんなにも沢山の仲間が
奈緒美ちゃんを誇りに思い、味方になるからね
どうか、頑張って、優雅に美しく泳いで行って!

奈緒美ちゃん、明治大学副学長就任、おめでとう!

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寺田理恵子ちゃん 牛尾奈緒美ちゃんと

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六本木アサドール・エルシエロにて

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