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エッセイ  わが街わが友 6 河田町
フジテレビに入社した1980年、
全てのアナウンサーは、報道局に配属され、レポーターという名前で呼ばれていた。
一番初めに驚いたこと、それは、廊下に貼り出されていた視聴率表だった。
各局の視聴率の棒グラフが掲げられ、
その中、フジテレビの棒は、他の局に比べて、格段に、低いものだらけ。
ローカル局の東京12チャンネルよりも低い番組もある。
でも、あった! 唯一、他を引き離してトップの番組が ・・・ サザエさん!
 「 大変な所に入っちゃった・・・」

テレビ局の知識もないまま、入社した「母と子のフジテレビ」。
しかし、不安定な役者の仕事ではなく、お給料の頂ける会社員として、
新入社員の私は、高揚した希望に溢れていたと思う。

と、言っても、仕事は、想像していた華やかな世界とは、雲泥の差。
新人は、先輩の為に、お茶を入れ、伝票を書き、物品の処理。
与えられる机も、同期と二人で一つを共有。
テレビにようやく出演出来ても、誰も見ていないような早朝の十五分ニュースか、
来る日も来る日も、「この番組は××の提供でお送りしました」の、提供枠。
アナウンサーとしての経験より、お茶酌みの仕事の方が、熟練して行った。

露木茂さんが、ニュースを終え、戻ってくる。
すかさず、コーヒーを出さなければいけない。
しかも、薄めのアメリカン!
逸見正孝さんには ・・・ 玄米茶、濃い目!
先輩の好みを、徹底的に頭に叩き込む ・・・ それが仕事!
当然、お茶を入れれば、すぐに汚れた湯呑みや、カップが溜まる。
給湯室に運び、洗い、またお茶を入れ、洗う。
一日に、何十回も、アナウンス室と、給湯室との往復。

ある日、手が膨れ上がって、痒くて堪らなくなった。
隣の東京女子医大に診察に行った。
「 こりゃぁ ・・・・ 主婦湿疹だね 」
テレビに出られる仕事もなく、お湯呑みばかり洗っていた毎日。
河田町の、湯気が立ち昇る、薄暗い給湯室が、
私のアナウンサーの出発点だった。

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( 東京新聞 2007 11/23 掲載 )

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