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エッセイ  わが街わが友 7 代官山
「 楽しくなければテレビじゃない! 」
1981年、フジテレビのスローガンが変わり、大改革が行なわれた。
同時に、レポーターの名称も、アナウンサーへと戻され、
今までニュースしか許されなかったのが、出演番組の規制も緩められた。
 
アナウンス室長に呼ばれた。
「嫌だったら、断っていいからね・・・ひょうきん族って番組、出てみる気、ある?」
室長は、おずおずと、尋ねた。
それまで、特別番組だった「オレたちひょうきん族」が、レギュラー化され、
司会として、アナウンサーを必要としていたのだ。
ちょうど前日、室長は、私のお葬式レポートをチェックしていて、
「 う〜ん・・・山村君は、こういう落ち着いた感じのものが、いいね 」
と、評価してくれていたはず。
しかし、私はお茶くみの毎日から逃れたくて、訳もわからず、飛びついた。
  
「 ひょうきん族 」は、正に綺羅星のごとく、
お笑いスター達が、体当たりで出演した、伝説の番組だ。
しかし、その中で、私は、葛藤だらけ。
社内では「社員のくせに」と、批判されることもあり、
番組内では、タレントではないので気も使う。
自己表現が思い通りに行かない。
ある日、全てを吹っ切りたくて、刈り上げヘアに、髪を短くしてみた。
その髪型を、出演者がギャグとして突っ込み、結果、司会も順調に行くようになった。
 
しかし、私生活は、そうは行かない。
髪型のせいで、すぐに目立ってしまう。
道を歩いていると、番組の中でタレントさんがするように、ポンポン私の頭を叩いたり
呼び捨てる人達に取り囲まれる「 事件 」が何度もあり、私は神経質になっていった。
その頃、私は、郊外から、代官山の、小さなワンルームに引っ越した。
当時は、今とは違い、本当におしゃれな大人しか代官山にはいなかった。
刈り上げヘアも目立たない。
皆、チラリと気づくけれど、サラリと、無視してくれた。
最高に自由!

人の目を気にせず闊歩できる代官山に、二十代の私は助けられた。

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( 東京新聞 2007 11/26 掲載 )

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