久しぶりに サッカーのこと

昨夜は、悔しかった

サッカーW杯アジア最終予選ヨルダン戦

前回は、6−0で勝った相手に、負けた

勝って、W杯本戦出場を決められる試合だったのに

まさか!

と、選手もサポーターも、冷や水を浴びせられた


相手チームは、日本よりも必死さ加減が半端なかった

ピッチの上でも、もちろんそうだし

サポーターの熱気、応援も、尋常じゃなかった


レーザービームが川島選手や遠藤選手に当てられたりして

卑劣な応援にもなった

また、試合終了後は、日本人サポーターを取り囲んで

挑発したり、携帯電話を取り上げたり、石を投げたりしたと言う

あまりにもひどいと、皆の声が上がる


私も、確かに、そう思う


でも、国の成熟度が違うのだとも思う

随分前だけど、ヨルダンに行ったことがあるが

その純粋な人柄には癒された

すなわち

純粋と言うことは、無垢な子供の心だとも言える

子供は、突っ走る

お調子に乗る

はしゃぎ回る


ヨルダンのサポーターは

調子に乗って、手がつけられなくなった

レーザービームも、盗難も、投石も

その方法には、違いがあるけれど

渋谷のスクランブル交差点で、負けたのにハイタッチして

大騒ぎした日本人サポーターと同じじゃないか

と、彼等は言うかもしれない

彼等にとっては、その程度のことなのだと


難民が流入したり、不安定な国に囲まれていたり

ヨルダンの国民には、大きなストレスがある

その彼等の爆発所が、サッカーなのかもしれない


サッカーは、「文化との戦い」でもあるということだ

だから

サッカーは、おもしろい

地球の隅々の人達が、同じボールで戦うのだから


さて

日本のW杯本戦決定は先延ばしになったけど

「今、負けておきなさい!」と

サッカーの神様が、仰っているのではないかしら

何て言ったって

日本はW杯で、上位に行かなくてはならないのだから


今、再認識しておかなくてはならないこと

必要なのは、大人の精神と、子供の情熱だと

ヨルダン戦で、私達は、学んだのだと思うよ

サッカー | 14:35 | comments(0) | trackbacks(0)

桜の季節 田中宥久子さん
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何から、書こうか

・・・うん・・・

去年の10月のこと
宥久子さんから、電話があった
「 ちょっと、今、話せる? 」
改まって、何?
「 家族以外は、まだ誰にも言ってないんだけど 」
なぁによ?
「私ね、ガンなのよ 」
へ? 何言ってんの? 

本気にしなかった私に、宥久子さんは細かに説明した
肺がんの末期で、もう手遅れだとのこと
余命は、良くて1年だと
私は、落ち着いてその言葉を噛み砕き
末期の人でも、治ったと言われる薬や民間療法を
お願いだから試して、と、次々に紹介した
「 そういうの嫌なの。私が頑固なの、知ってるでしょ?」
うん・・・知ってる
言葉が、そのまま出ずに、私は、泣いちゃいけないのに
受話器握りしめながら、嗚咽した
宥久子さんは、ハハハと笑って、申し訳なさそうに言った
「 ごめんね、山村さん、泣かせちゃって 」

宥久子さんは、私のこと、「山村さん」と呼ぶ
女優さんを、下の名前で呼ぶのは失礼だとか言って
でも
すでに私達はヘアメイクと女優の関係ではなかったけどね

ただ、最初の出会いは、仕事、連続ドラマだった
もう、25年近く前
「あぶない少年」と言う、テレビ東京の
SMAPのドラマデビュー作品
私は、フランス語教師の役柄で出演し
彼女はスタッフ、ヘアメイクさんだった
半年間、そのドラマで仕事を一緒にした後
プライベートでも会うようになり
でも、プロモート用の作品撮りもしたいと言われ
1、2年に1回、作り続けていたから
仕事も絡ませながら、付き合っていたんだと思う

でも、そのうち
他の友人に話せないようなことも
宥久子さんには、話せるようになっていった
宥久子さんも、同じように
あらゆる、色んな悩みを打ち明けてくれた
毎日、2時間も3時間も長電話で、色んなこと、話したね
全部、人には言えないことばかり

宥久子さんは、いたずら好きでもあった

ほんの、10年ちょっと前だったかな
中央線国立駅近くのフランス料理店に招待された
国立は、宥久子さんの家の近くで
私にとっては学生時代を過ごした思い出の場所
桜の時期には、宥久子さんと私
二人で訪れて、桜並木を、何度も散策した街
時には、街路樹の下のベンチに座り
缶ビールを飲みながら、何時間もお花見したっけ
でも、その日は、桜は咲いていなかったと思う
宥久子さんは、テーブルの向こう側で、切り出した
「 私、山村さんに、謝らなければならないことがあるの 」
どうしたんだろ、真顔で
「 ずっと、私、山村さんと同い年って言ってたけど
実は、10歳上だったの 」
私は、鳩が豆鉄砲食らったように驚いて、言葉を失った

すでにその時
私達の付き合いは、15年近くだった訳で
しかも、毎日連絡取り合うような、深い関係
宥久子さんは2月生まれ、私は11月
学年は1年お姉さんだけど、同い年生まれの、同い年
そう、ずっと思い続けていた
宥久子さんは、出会った頃から、あの帽子と眼鏡で
年齢不詳だから、年下にも、年上にも見え
同い年と言われたら、信じるしかなかった
「 言ったら信じたから、でも、こんなに長く騙されるなんて 」
ハハハと、宥久子さんは笑った
「 ホント、ごめんね
いつ本当のこと言おうか、何年も、迷っていたの 」

宥久子さんの笑った時の口元は、とても美しいと
いつも思う

でも、2003年に私がNYに行くことになり
二人の仲は、疎遠になってしまった
東京とNYという距離だけのせいではなかった
時、同じくして
宥久子さんの化粧品や造顔マッサージが人気となり
宥久子さん自身が、カリスマとして名前を知られ
忙しくなったこともある
私が、NYから2008年に戻ってきた時には
彼女は、スケジュールが管理され
なかなか会うことも出来ないようになっていた
正直、とても寂しかった
たまに会えても、少し距離を置かれて、敬語になっていた
だから、この2年位、時々しか話していなかったと思う
でも、そのうち
彼女が仕事のことで悩んだりすることがあり
ふと電話があったり、呼び出されたりして
話を聴かされる回数が増えていった
再び、敬語も少なくなって、元の関係に戻りつつあった
ちょっと、嬉しかった

ガンがわかった後は、家にいることが多くなり
テレビを見る機会が増えたのだろう
私が毎日出演していた番組「PON」をチェックしてくれた
「今日の化粧は、何?」
「もっと笑わなきゃ」
「最後のエンディング、嫌そうにやってんじゃないの?」
私の表情が硬く見えたのだろうか
手厳しい、いつもの、辛口宥久子さんだった
その翌日から、私はエンディングでは
思いっきり手を振って、笑った
宥久子さんに向かって

抗がん剤治療のため2、3週間に1回入院する病院は
私の家近くだったから、フラリと病室に何度も寄った
今までの二人の歴史を辿るように
思い出を語り合った
彼女が食べられないから、食べて、と強く言われたので
私が、彼女の病院食を口に入れている時だった
味は、悪くなかった
「 あのさ、天に召されるのは、夏までぐらいらしいよ 」
と、人ごとのように彼女が言った
胸が詰まった
「 じゃ、春になったら、お花見、私の車で行こうよ
国立まで、連れてってあげる」
「 国立かぁ〜、行きたいな〜 」

生きている彼女に、最後に会ったのは、今月8日
病室に入ると
抗がん剤も効かなくなってしまった宥久子さんが
一旦退院するための準備を整えた所だった
一人、ポツンとのベッドの上で、上半身だけ横たえていた
事前に、主治医の先生が
元気に、今お喋りしていましたよ、と言ってくださったから
訪れたお見舞いだったけど
ほんの少し会話した後
息が苦しそうな宥久子さんが言った
「 あのさ、今、私、辛いのは、喋ることなの」
・・・そっか・・・
お医者様に気を遣って沢山話したからね
わかった、じゃあ、またね
スタスタと、病室のドアを出る私の背に
振り絞るような声が、追いかけてきた
「 ありがと〜、ありがと〜、ありがとね〜 」

宥久子さんのガンがわかった後
色んな方が、著名な治療を薦めてくださって
断りきれずに、試したと言う
「 みんな、私に造顔マッサージして欲しいからね
だから、生きていて欲しいのかな 」

私にとってみれば
美のカリスマも、造顔マッサージも関係ない
実際、私自身、宥久子さんにマッサージをしてもらったのは
逆に、友人だから少なくて、数える程しかなかった
マッサージ出来なくてもいいから
生きていて欲しかった
「宥久子さん」でありさえすれば良かった

亡くなった、その時間
後で考えると、私の朗読ライヴが終わっての帰り道
ちょうど病院の前を車で通った時だ
あの時だったんだ

ご遺体が、病院から自宅へ、翌日運び込まれた
ベッドに休んでいる宥久子さんに、会いに行った
本当に、お肌がピカピカで、きれいで
10歳上どころか、うんと若く、年下にさえ見えた
美しかった

どうやってもこうやっても
寂しくて、悔しくて、哀しくて
腹が立って、苦しくて、切なくて
どうやっても、こうやってもだ

今日も、桜が、きれいだ

今年の桜の開花は、早かったねぇ、宥久子さん
きっと、宥久子さんに見せたいと思って
神様が、いたずらしたんだよ
でも
私は、やっぱり昔のように
あの国立の桜並木、一緒に見たかった

ただ、それだけ

Friends | 14:15 | comments(6) | trackbacks(0)

車から お花見
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母kazukoさんを連れ出して、都内を、お花見
カレンちゃんも、もちろん、一緒
車椅子で、外へ出るのは大変だから
走る車の中から、桜を見上げる
kazukoさんは、大好きなカレンちゃんと一緒だったから
ご機嫌さん
1歳になったばかりのカレンちゃんには
まだ子供過ぎて、桜の美しさはわからない
車に乗ってばかりの午後は、つまらなかったかもしれないね

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母 Kazukoさん | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0)

最終回 卒業証書の 交換
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ねえ
上の写真、スゴくないですか?
まるで、ビル全体に映像が映し出されているような・・・
実は、この写真
友人の節子さんが、東京タワー大展望台から撮影したもの
アーティスト上野真史さんの歌う姿が
窓ガラスに反映しています
素敵な写真!

東京タワー朗読ライヴ、第一部の音楽ライヴ
予定していたアーティスト柚楽弥衣さんの体調が悪くなり
当日のお昼
観客として来てくださる予定だった真史さんに
急遽ピンチヒッターの出演をお願いしたのです
昨年11月にも出演していただいた真史さんの深い歌声は
最終回にふさわしく
心に染み渡るライヴとなりました

さて
本編の朗読について

ゲストの山崎大輝君は、前日の4時間のリハーサルと
夜の真剣自主トレで、立派に「卒業」の主人公ベンジャミン
ダスティンホフマンの役を、初々しいながらも
立派に演じてくれました

もう一つの作品「卒業証書」(大島真寿美作)
ストーリーは
主人公の女の子が、中学校の卒業式の帰り道
同級生のスター男子学生と偶然出会います
流れで、彼とボヤキを吐露し合い、励まし合い
結局、それぞれの卒業証書を交換することになります
何か辛いことがあったら、お互いにSOSを出そう
自分の卒業証書を返してもらうと言って、会えばいい
それまで、卒業証書を交換しておこう、と、約束します
その後、二人は別れ、大学にも行き
色んなことがあるのですが
SOSは、まだ使っていません
きっと、彼も頑張っているだろうと励みに思いながら
主人公は、手元に彼の卒業証書を、まだしっかり持っている
そんな話です

この小説を見つけた時
若いけれど、人生にも通じる、さりげなく深い話だと
朗読する作品候補に入れました
そこへ、出演者の田中広子さんからの電話
「michiさん、いい話を見つけたんですけど・・・」
偶然にも、選んだばかりの「卒業証書」でした
「卒業」をモチーフに探してはいたけれど
同じ作品を選ぶとは、二人とも驚きました

田中広子さんは
後半の11月から、朗読ライヴに参加してくれているのですが
作品選びをはじめ、色々と支えてくれました
読みにも、お嬢ちゃんを持つ母の優しさが滲んで
本当に、優しさに満ちあふれた朗読です

そして、ピアニストの宮城純子さん
今回は「サイモン&ガーファンクル」の曲を
アレンジをして、各所に入れてくださいました
今までの、全ての私の朗読に関わり
作品選びから、音楽選び、アーティストのブッキング
何もかも、支えてくださいました
東京タワーの朗読ライブは、宮城さんがいなかったら
このように、進まなかったと思います

そんなこんなで、最終回
私は、観客の皆様に伝えました
今、私達と、卒業証書を交換しませんか
東京タワーライヴは、今夜で終わりだけれど
今後、画面などで、私達が出ていたら
辛いことがあっても
あ〜、がんばっているんだな、と思っていただきたい
私達も、皆様に元気を持っていただけるよう
がんばってまいりますね、と。

卒業証書の交換

最後にはなりましたが
こういう機会をくださった、東京タワーの皆様
また、手前味噌にはなってしまうけれど
事務所のイトーカンパニーの社長、スタッフのみんな
ありがとうございました
お疲れさまでした!

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東京タワー朗読会 | 12:18 | comments(0) | trackbacks(0)

東京タワー朗読ライヴ 卒業
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来週火曜日、3月19日の夜
東京タワー朗読ライヴ
Club333「Starlight night high」が最終回を迎えます
そう
「 卒業 」です

と、言う訳で
3月の最終回にちなみ
「 卒業 」をモチーフに選びました
映画「 卒業 」の原作本の朗読
小説「 卒業証書 」(大島真寿美作)etc.

ミセス・ロビンソンと若いベンジャミンの大人の会話
また、サイモン&ガーファンクルの歌
う〜ん
聴きどころ、満載です!

東京タワー展望階での、最終の朗読
光輝く宇宙に浮かぶ空間、その上で行われる路上ライヴ
ぜひ、東京タワーにお足を運んでくださいね
お待ちしています!

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