絵の力 脳の不思議

 

この頃の母、kazukoさん

めっきり無口になり

認知症も進んでいて

会いに行くたび

ちょっと悲しい気持ちになってしまう

 

施設のラウンジで

毎日のように、ケアの皆さんが

絵が得意なkazukoさんの為に

色鉛筆を出して

絵を描かせようとしてくれている

でも

kazukoさんは、まるで乳児のように

少し描き殴るだけで

すぐに眠ってしまったり

トイレに行きたいと訴えたり

絵には程遠い

その姿を見る度に、寂しくなってね

大好きな絵さえ

描かなくなってしまったんだ・・・と

胸が、いつもザワザワしていた

 

訪れたこの日

いつものようにkazukoさん

色鉛筆で、プリント用紙の裏に

何かを描いていた

前に置かれたお正月のお飾りらしい

kazukoさんの隣に

カレン、セリーナのカートを置き

私も、目の前に座って見学

kazukoさん

「 かわいい、かわいい 」と

カレン、セリーナの頭を撫でる

しばらくした頃

スイッチが入ったように

色鉛筆を次から次へと出して

描きかけていた絵に

色を加え出した

その筆圧は、しっかりしている

顔の表情が、どんどん真剣に変わった

あ〜

昔のkazukoさんの顔

ママの顔

 

やっぱり途中で

眠くなってしまって

完成はしなかったたけれど

寄せ集めの色鉛筆で描いた絵は

kazukoさんの力強いタッチ

 

その後

帰る私を見送る時には

「 車の運転、気をつけなさい!」

と、いつも昔声かけたように

大きな声で、笑顔で見送ってくれた

昔の、ちょっと口うるさいkazukoさん

戻って来た、kazukoさん

 

この「 絵の力 」

一時的なものなのかもしれないけど

その威力にびっくりした

そして何よりも、嬉しくなったよ

人の脳味噌って、不思議だ

 

今度はね、ママ

もっと描きやすいクレヨンのセットと

スケッチブック

持って行くからね

もっと、違う絵を描いてね

もちろん、カレンちゃん、セリーナちゃんも

隣で、しっかり鎮座して、応援してもらうから

 

 

 

母 Kazukoさん | 13:54 | comments(2) | -

人生のキーウーマン 洋子

 

朝、北海道の友人から電話があった

泣きじゃくっていて、言葉が聞き取れない

「洋子が・・・洋子が、亡くなった」

「・・・うそ〜!」

 

洋子は、大学時代の友人

国立市のあちらこちらに

下宿していた8人の仲間の一人だった

8人で、美しい街国立を闊歩し

ふざけて歌歌ったり踊ったり

誰かの下宿に押しかけ

誰かが作ったカレーを死ぬほど食べて

朝まで真剣に語りあったり

そんな、仲間

全ての自分を出せる間柄

 

だから、大人になってからも

LINEでは「国立グループ」と名づけ

近況を報告し合っていた

北は札幌、南は鹿児島

全国に、皆散らばっているけれど

繋がっている

Facebookとかあるけれど

私自身は

あの場では、本音を語れない

弱みも見せにくい

でも、LINEの国立グループでは

弱い自分を曝け出すことが出来た

 

洋子が気管支系の病気だとは知っていた

でも、そんなに酷いとは知らなかった

彼女は、弱みを見せていなかったんだ

気丈な洋子は、最後まで気丈だった

 

生きていく上で、色んなキーポイント

ターニングポイントがあるけれど

私にとって、洋子は

間違いなくキーマン、キーウーマンだった

 

大学卒業して半年後のある日

私は、まだ国立のアパートにいた

その日から海老名市での

ウグイス嬢のアルバイトが10日間あり

その準備で忙しくしていた

大学4年生の時に入った劇団

東京キッドブラザーズは

母との1年期限の約束があったから

すでに退団していた

不安だらけの毎日

その日朝、電話で尋ねたフジテレビは

アナウンサーの募集をしていた

でも、締め切りは翌日の消印までで

手元に証明写真がなかった私は

すぐに諦めていた

当時、証明写真は

ネガを出して受け取るのに

丸1日は必要だったから

 

四畳半の下宿の部屋に

ふらりと入って来たのが

国立ファミリーの一人、洋子だった

卒業後、すでに皆は

実家に戻っていたから

国立にいるのは

3人ぐらいしかいなかった

洋子は、数学科の大学院生だったのだ

忙しくボストンバッグに

荷物を入れる私を見下ろすように

洋子はベッドに座って

いかに数学の問題が解けないか

気晴らしが必要なんだと

つらつら話していた

私も

今朝電話したフジテレビのことを

何気なく話した

「 あ!」

洋子が言った

「 私が応募書類、出してあげる 」

ネガを写真屋に出して

明日、写真を受け取って

出してくれると言う

「 いいよ、そりゃ面倒だし悪いよ

それに、受かるわけないもん 」

「 いや、私に出させて

気晴らしになるから、問題解けるかも 」

その行動が、

なぜ問題解けることになるのか

さっぱり私にはわからなかったけれど

私は、洋子の目の前で

躊躇しながら履歴書を書いた

そして

ネガと一緒に、洋子に託した

アパートを出て、別れる時

「 じゃあね! よろしくね〜!」

なんて、軽く洋子に声かけたものの

全然、期待なんかしていなかった

 

そして

真面目な洋子は

その足で写真屋に行き、ネガを出し

翌日、写真を受け取り

履歴書に、ノリをつけて貼り付けて

封筒に丁寧に入れ

ポストに投函してくれたのだ

その後

私は、フジテレビに入社した

 

やがて、退社はしたけれど

アナウンサーを経験したことが

全ての根幹となった

 

あの日、洋子が

4畳半の下宿にやってこなければ

今の私の人生はなかった

確実に、なかった

 

洋子に関しては

いっぱいいっぱい思い出があるけれど

それは、国立ファミリーの皆で会って

話そう

そうすれば、天国で笑ったり

そりゃ違うと言ってムキになったり

するだろう

 

でも、私はここでしっかりと

言っておかなくてはいけない

本当に感謝です

ありがとうね

洋子

ありがとう

Friends | 12:09 | comments(1) | -

2020 にんまりまあるく

 

2020年

新年、あけましておめでとうございます!

 

毎年恒例の「おめでとうの歌」

愛犬のカレンとセリーナと

一緒に歌っています

本当は、もっとウォ〜〜〜と

雄叫びを上げてくれるはずなのですが

ちょいと、ノリノリとはいきませんでした

でも

ちょっとだけクスッとしてくださって

ちょっとでも、元気になってもらえたら

幸い!

 

2020年!

何だか、ワクワクしますね〜!

東京オリンピックの年!

因みに、チケット

私は、サッカー3位決定戦しか

当選しませんでした

これって、微妙なところです

日本代表には

3位決定戦には出てもらいたくない

どんなことあっても、決勝進出!!

しかし

私は3位決定戦しか観戦出来ない

ね、微妙でしょ?

 

2020

にい、まる、にい、まる

この響きも、柔らかくて素敵

にんまり、まあるい

でしょ?

どうぞ、2020

この響きのように

「にんまり、まあるい」年になりますように

災害のない年となりますように

みんなが、幸せな年となりますように

 

個人的なことだけれど

昨年の半分は、大変な年でした

試練の年

でもね

人には、必ず試練の時があるもの

だからね

この過去の半年を受け止めて

2020年は

にんまり、まあるく

優しく素敵な年になるよう

踏ん張りますね

幸せは

神様から頂くものでもなく

人からでもなく

運でもなく

偶然でもなく

ただただ

自分の心で

引き寄せるものだから

でしょ?

 

2020

にいまるにいまる

にんまりまあるく

よろしくお願いいたします!

カレンとセリーナ | 00:00 | comments(0) | -