フジテレビ「ひょうきん」な「女子アナ」たち
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左から、長野智子ちゃん、私、寺田理恵子ちゃん

さて、ここで、問題です!

上の写真の3人が出ていた番組は、何?


すぐにわかったあなたは、

きっと、35歳以上の方のはず

正解は

「 オレたちひょうきん族 」!!!

3人は、今や伝説となってしまった番組のコーナー

「 ひょうきんベストテン 」の歴代司会者

実は

 私達が、こうやって同時に写ったのは初めてのこと

真ん中の私が初代、2代目が寺田理恵子ちゃん

3代目が、長野智子ちゃん

思いっきり嬉しくて

スリーショットを、何枚も撮影した


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左端が城ヶ崎祐子さん、右端が益田由美さん


そして、この写真、両端のお二人は

私のフジテレビ時代の、先輩アナウンサー

城ヶ崎祐子さんと、益田由美さん

祐子さんは、すでに退社しフリーで活躍され

そして、由美さんは、この度

「 女子アナ 」としては初めて、定年を迎えられた


そのお二人の還暦祝いの会が

都内のレストランで、盛大に行われたのだ


こうやって、写真を撮りながらも

あちらこちらで、しっかり通る声で

キャアキャアという歓声が湧き上がる

なんと、1975年入社の、田丸美寿々さんから

2000年入社の、梅津弥英子ちゃんや政井マヤちゃんまで

総勢43名が、レストランに大集合した


とにかく、仲がいい

みんな、会えて嬉しくて、仕方ない

中には、この日、初めて会うのに

遠い親戚に会ったかのように、つい、

「 元気〜〜? 」

「 お元気ですか〜?」

なんて、声をかけてしまう

フジテレビ女子アナの、仲良しDNAは

続いているようだ


しかし

昔からそうだったわけではない

私が入社した当時

フジテレビは視聴率もどん底で

アナウンス室も

ピリピリとした緊張感で、張り詰めていた


やがて、社内改革が起き

ニュースと天気予報だけだったアナウンサーも

ゴールデン番組に起用されるようになった

私は「 オレたちひょうきん族 」

益田由美さんは「 なるほど・ザ・ワールド 」

高視聴率と話題で、私達は注目されるようになった

私は「 ひょうきんアナウンサー 」

由美さんは「 ひょうきん由実 」と呼ばれた

でも

二人共、「 ひょうきん 」と言われることが

嫌で嫌でたまらなかった

同時に、「 女子アナ 」と言われることも

私達、女子じゃないのに、女性なのに

と、ブツブツ言っていた


この二人が

「 楽しくなければテレビじゃない!! 」の

フジテレビの広報キャンペーンに、起用された

由美さんが「 Dr.スランプアラレちゃん 」

私が「 タケちゃんマン 」に扮装して

ポスターやCMに、次々と露出した

撮影が続いて寝不足でフラフラになるほどの毎日

でも

その頃の社内には、まだ理解ない人がいて

「 アナウンサーなのに、恥ずかしくないの?」

と、聞いてくる人もいた

だから、由美さんと私の結束は固まっていった


そして

「 ひょうきん 」と呼ばれることも

「 女子アナ 」と揶揄されることも

だんだんと、平気になっていったように思う

たとえ

「 Dr.スランプアラレちゃん 」の格好をしていても

「 タケちゃんマン 」になって、ナハナハナハと叫んでも

この間まで、どん底だったフジテレビのために

私達アナウンサー、「 女子アナ 」はがんばるのよ

と、そんな気持ちだったから、何でも出来たし

「 恥ずかしくないの? 」と

批判したオジさん社員を、見返す気持ちだった

私達が、あなたを救ってあげるのよ!

と言うくらいの、気持ち

「 ひょうきん 」だろうと

「 女子アナ 」だろうと

そんな上っ面のレッテルは、関係ないさ!


その頃には

後輩の「 女子アナ 」に何かあっても

まず理解するようにした

それは由美さんや私とかだけでなく

周りの、上の女性アナウンサー達もそうだった

もし、何か注意すべきことがあったら

直接本人に、真摯に物申す


そう言えば

私も、一期先輩のS美さんから

番組打ち合わせの後、肩並べ歩きながら諭された

「 みっちゃん、さっきの言い方は、良くないよ 」

プロデューサーに理不尽な要求をされ

強い口調で反発した私を、S美さんは叱ってくれた

・・・そうか・・・

もっとリスペクトした言い方があったんだ・・・

反省した

その日から、今でさえも

あの時のS美さんを思い出し、肝に銘じることがある


私は 早々にフジテレビを退社したけれど

城ヶ崎祐子さんは、20年

益田由美さんは、38年も在籍し

フジテレビアナウンサーとして、定年を迎えられた

今も、フジテレビ女性アナウンサーが雰囲気良く

仲良くいられるのは

長く在籍した先輩たちの

ひとえに、益田由美さん達の功績だと思う


今も時々

人から、今のフジテレビの女子アナ、どう思う〜〜?

と、斜に構えて聞かれることがある

でも

フジテレビに在籍してアナウンサーだった私が

今の女子アナを理解しなくてどうするんだろう

と、思う

華やかに見えるけれど、プライベートも晒され

でも、タレントではなくて、OLの社員で

会社のために、番組のために

がんばんなきゃいけない仕事

そんな特異な経験をした人にしか

理解できないこともある


最近、社員アナウンサーを経験した方々が

女子アナを批判されることが、見受けられるけど

できれば、フジテレビは、そうじゃないといいな

この日集まった全員が

多分、同じ気持ちだったと思うよ


ホント、この夜は、楽しくて楽しくて

分かり合えて、幸せな時間だった

二次会には、狭いウナギの寝床のようなバーに

ギュウギュウ詰めにして座って、飲み直したけれど

夜も更け、みんなが帰ると言うのに

「 私、今日は、とことん飲むわ〜 」

 と、残っていた田丸美寿々さん

大先輩を残して帰ってきてしまったけど

美寿々さん、だいじょうぶでした?

こう言う豪快で洒脱でサッパリしたDNAも

きっと「 ひょうきん 」な「 女子アナ 」達は

受け継いでいるはず


あ〜、楽しかった!


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益田由美さん、城ヶ崎祐子さんの、大撮影会


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集合写真は、現役のフジテレビアナは、NG


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だから、こうやって、反対側で撮影係


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いつまでも変わらない大先輩の田丸美寿々さん

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宥久子さんに きっと 怒られる
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友人の「美のカリスマ」田中宥久子さんの偲ぶ会
司会をさせていただいた

昨年の、クリスマスを前にした頃、
抗がん剤治療で入院していた病院を抜け出し
宥久子さんが、代々木上原の洋食屋さんに
私を連れて行ってくれた時のこと
おいしいハンバーグを口いっぱいに頬張りながら
何気なく、さらりと、私が言ってみた
「 なんかさ、会みたいなのするなら、私、司会、やるから 」
でも、言い終わった瞬間、バラバラ涙が溢れてしまった
宥久子さんは、笑いながら、私の背中さすった
「 ハハハ、泣かないの〜!」
ハンバーグが喉に詰まったふりして、グイグイ涙ふいた
「 泣いてないよ 」

結局、偲ぶ会の司会をしても
宥久子さんが、天に召されているのが、実感出来ない
明るくしようとして、場にそぐわない元気な声になり
驚いて、落ち着いて喋ろうとしたら
何言ってんだか、文脈がグチャグチャになった
きっと、いつものように、間違いなく
宥久子さんに、怒られると思う

林真理子さんと、中井美穂さんと、写真を撮った
どんな顔して写っていいかわからない
笑っていいのか、悲しい顔していいのか
みんな、戸惑いながら、写った

やっぱ、私、色々、宥久子さんに、怒られると思う
・・・でもね・・・
も一度、怒られたいよ

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生まれ来た 命
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生まれたばかりの赤ちゃんに、会いに行った

私の二人芝居「私とわたしとあなたと私」の
初代相手役、ERINN(松本栄倫子)が
結婚2年目で、赤ちゃんを、出産した
早産だった
卵巣膿腫もあり、帝王切開で、苦しみながら産んだ
小さくて、はかなくて、でも、しっかり、元気
寧々ちゃんという愛らしい名前を付けてもらった女の子
ERINNちゃんも、パパも
愛おしく、寧々ちゃんを見つめる
その瞳が、優しくて優しくて

ガラス越しにカメラを向けながら
涙が止まらなくなっちゃった

この世から、去る命もあり
この世に、新しく生まれ来る命もある
今年の桜の季節

おめでとう! 寧々ちゃん

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桜の季節 田中宥久子さん
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何から、書こうか

・・・うん・・・

去年の10月のこと
宥久子さんから、電話があった
「 ちょっと、今、話せる? 」
改まって、何?
「 家族以外は、まだ誰にも言ってないんだけど 」
なぁによ?
「私ね、ガンなのよ 」
へ? 何言ってんの? 

本気にしなかった私に、宥久子さんは細かに説明した
肺がんの末期で、もう手遅れだとのこと
余命は、良くて1年だと
私は、落ち着いてその言葉を噛み砕き
末期の人でも、治ったと言われる薬や民間療法を
お願いだから試して、と、次々に紹介した
「 そういうの嫌なの。私が頑固なの、知ってるでしょ?」
うん・・・知ってる
言葉が、そのまま出ずに、私は、泣いちゃいけないのに
受話器握りしめながら、嗚咽した
宥久子さんは、ハハハと笑って、申し訳なさそうに言った
「 ごめんね、山村さん、泣かせちゃって 」

宥久子さんは、私のこと、「山村さん」と呼ぶ
女優さんを、下の名前で呼ぶのは失礼だとか言って
でも
すでに私達はヘアメイクと女優の関係ではなかったけどね

ただ、最初の出会いは、仕事、連続ドラマだった
もう、25年近く前
「あぶない少年」と言う、テレビ東京の
SMAPのドラマデビュー作品
私は、フランス語教師の役柄で出演し
彼女はスタッフ、ヘアメイクさんだった
半年間、そのドラマで仕事を一緒にした後
プライベートでも会うようになり
でも、プロモート用の作品撮りもしたいと言われ
1、2年に1回、作り続けていたから
仕事も絡ませながら、付き合っていたんだと思う

でも、そのうち
他の友人に話せないようなことも
宥久子さんには、話せるようになっていった
宥久子さんも、同じように
あらゆる、色んな悩みを打ち明けてくれた
毎日、2時間も3時間も長電話で、色んなこと、話したね
全部、人には言えないことばかり

宥久子さんは、いたずら好きでもあった

ほんの、10年ちょっと前だったかな
中央線国立駅近くのフランス料理店に招待された
国立は、宥久子さんの家の近くで
私にとっては学生時代を過ごした思い出の場所
桜の時期には、宥久子さんと私
二人で訪れて、桜並木を、何度も散策した街
時には、街路樹の下のベンチに座り
缶ビールを飲みながら、何時間もお花見したっけ
でも、その日は、桜は咲いていなかったと思う
宥久子さんは、テーブルの向こう側で、切り出した
「 私、山村さんに、謝らなければならないことがあるの 」
どうしたんだろ、真顔で
「 ずっと、私、山村さんと同い年って言ってたけど
実は、10歳上だったの 」
私は、鳩が豆鉄砲食らったように驚いて、言葉を失った

すでにその時
私達の付き合いは、15年近くだった訳で
しかも、毎日連絡取り合うような、深い関係
宥久子さんは2月生まれ、私は11月
学年は1年お姉さんだけど、同い年生まれの、同い年
そう、ずっと思い続けていた
宥久子さんは、出会った頃から、あの帽子と眼鏡で
年齢不詳だから、年下にも、年上にも見え
同い年と言われたら、信じるしかなかった
「 言ったら信じたから、でも、こんなに長く騙されるなんて 」
ハハハと、宥久子さんは笑った
「 ホント、ごめんね
いつ本当のこと言おうか、何年も、迷っていたの 」

宥久子さんの笑った時の口元は、とても美しいと
いつも思う

でも、2003年に私がNYに行くことになり
二人の仲は、疎遠になってしまった
東京とNYという距離だけのせいではなかった
時、同じくして
宥久子さんの化粧品や造顔マッサージが人気となり
宥久子さん自身が、カリスマとして名前を知られ
忙しくなったこともある
私が、NYから2008年に戻ってきた時には
彼女は、スケジュールが管理され
なかなか会うことも出来ないようになっていた
正直、とても寂しかった
たまに会えても、少し距離を置かれて、敬語になっていた
だから、この2年位、時々しか話していなかったと思う
でも、そのうち
彼女が仕事のことで悩んだりすることがあり
ふと電話があったり、呼び出されたりして
話を聴かされる回数が増えていった
再び、敬語も少なくなって、元の関係に戻りつつあった
ちょっと、嬉しかった

ガンがわかった後は、家にいることが多くなり
テレビを見る機会が増えたのだろう
私が毎日出演していた番組「PON」をチェックしてくれた
「今日の化粧は、何?」
「もっと笑わなきゃ」
「最後のエンディング、嫌そうにやってんじゃないの?」
私の表情が硬く見えたのだろうか
手厳しい、いつもの、辛口宥久子さんだった
その翌日から、私はエンディングでは
思いっきり手を振って、笑った
宥久子さんに向かって

抗がん剤治療のため2、3週間に1回入院する病院は
私の家近くだったから、フラリと病室に何度も寄った
今までの二人の歴史を辿るように
思い出を語り合った
彼女が食べられないから、食べて、と強く言われたので
私が、彼女の病院食を口に入れている時だった
味は、悪くなかった
「 あのさ、天に召されるのは、夏までぐらいらしいよ 」
と、人ごとのように彼女が言った
胸が詰まった
「 じゃ、春になったら、お花見、私の車で行こうよ
国立まで、連れてってあげる」
「 国立かぁ〜、行きたいな〜 」

生きている彼女に、最後に会ったのは、今月8日
病室に入ると
抗がん剤も効かなくなってしまった宥久子さんが
一旦退院するための準備を整えた所だった
一人、ポツンとのベッドの上で、上半身だけ横たえていた
事前に、主治医の先生が
元気に、今お喋りしていましたよ、と言ってくださったから
訪れたお見舞いだったけど
ほんの少し会話した後
息が苦しそうな宥久子さんが言った
「 あのさ、今、私、辛いのは、喋ることなの」
・・・そっか・・・
お医者様に気を遣って沢山話したからね
わかった、じゃあ、またね
スタスタと、病室のドアを出る私の背に
振り絞るような声が、追いかけてきた
「 ありがと〜、ありがと〜、ありがとね〜 」

宥久子さんのガンがわかった後
色んな方が、著名な治療を薦めてくださって
断りきれずに、試したと言う
「 みんな、私に造顔マッサージして欲しいからね
だから、生きていて欲しいのかな 」

私にとってみれば
美のカリスマも、造顔マッサージも関係ない
実際、私自身、宥久子さんにマッサージをしてもらったのは
逆に、友人だから少なくて、数える程しかなかった
マッサージ出来なくてもいいから
生きていて欲しかった
「宥久子さん」でありさえすれば良かった

亡くなった、その時間
後で考えると、私の朗読ライヴが終わっての帰り道
ちょうど病院の前を車で通った時だ
あの時だったんだ

ご遺体が、病院から自宅へ、翌日運び込まれた
ベッドに休んでいる宥久子さんに、会いに行った
本当に、お肌がピカピカで、きれいで
10歳上どころか、うんと若く、年下にさえ見えた
美しかった

どうやってもこうやっても
寂しくて、悔しくて、哀しくて
腹が立って、苦しくて、切なくて
どうやっても、こうやってもだ

今日も、桜が、きれいだ

今年の桜の開花は、早かったねぇ、宥久子さん
きっと、宥久子さんに見せたいと思って
神様が、いたずらしたんだよ
でも
私は、やっぱり昔のように
あの国立の桜並木、一緒に見たかった

ただ、それだけ

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スタイリスト ガレージセール
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「PON」でお世話になった、スタイリスト石橋瑞枝さんや
衣装を提供してくださったセレクトショップ、
石橋さんの友人の現役スタイリストの皆さんが
ガレージセールを開催している
私も、早速、愛犬カレンと一緒に伺ったのだが
素敵なお洋服や、バッグ、小物、毛皮用品など
かなりおしゃれなものが
お買い得価格で、ずらり並べられていて
Y'sのジャケットや、毛皮のバッグを、ゲットしました!

皆様も、ぜひ、足を運んでみられては、いかが?

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